武藤家の食卓

KAT-TUNはごはん、NEWSはお味噌汁、A.B.C-Zはだし巻き卵(暫定)。ジャニヲタ14年生。

KAT-TUNとNEWSを追ってきたジャニヲタが、KAT-TUNの10周年ライブに行ってきた話。

201651()

 一生この日は来ない、来るはずがない、と思っていた日が来てしまった、という絶望にも似た気持ちと、この歳になると、コンサートに3日連続で行くというのはなかなか身体にクるなあ~ねみ~ビール飲みてえ!、と、一方では現実的で淡泊な気持ちを抱えながら、水道橋駅に降り立った。

 「どうしても東京に出たい!」と、片田舎から猛勉強の末に上京した私にとって、東京ドームはいつまでもどこまでも憧れの場所だった。水道橋が定期圏内になるよう、下宿先を選んだ。大学を卒業し、毎日通う場所が変わった今でも、私が大学時代と住む場所を変えていないのは、水道橋という場所に何か特別なものを感じているからなのかもしれない。

 東京ドームのバックはびっくりするほどの澄み渡った青空が広がっていた。「雨ン中サンキュー」*1な彼らにしては珍しいくらいの青空で、吹き出してしまいそうなほど。

 ああ、ついに終わるんだな、そして(充電期間が)始まるんだな、という、とにかく不思議な気持ちでグッズ列に加わり、耳ではしっかりKAT-TUNを聞きながらも、NEWSの10周年の東京ドームライブ*2をふと思い出していた。2つの10周年を東京ドームで迎えることとなり、10年以上懲りずにジャニーズにお金も時間もささげ続けていたのか、といった半ばあきれの感情と、無事(波乱ばかりだった2グループに「無事」という言葉を使っていいのか疑問だが)10周年を迎えられてよかったなあ、と相反する感情を抱えながら、工場のレーンのように(中学の修学旅行でいった森○の工場にある某チョコの玉のレーンを思い出していた)流れていくグッズ列のファンを眺め、自分もそのレーンに乗っかったように歩みを進めていた。

 

 始まる前まで一切の実感がなく、友達と会ってもごく普通の、今までと変わらない会話をし、別れるときは「じゃあ、またね」「楽しんで!」「また呑もー!」、と笑顔で別れを告げていた。皆、今日でしばらくこの光景は見られないという現実を受け止めて入るものの、だからといって葬儀・告別式のような雰囲気にならないのは、度重なる脱退というタブーを、自らネタにしてきた彼らに躾けられたファンならではの光景だったのかもしれない。

 

 片田舎の高校生だったとき、「いつか全ステする!」と豪語にしていたが、23歳になった今、そのユメが叶った。まあ5公演だったし、土日公演多かったからできるっしょw、と思ってしまっている私はたぶんすでに一般人の感覚からずれている。確実に。

 

 無事席に着き、会場を見渡していた。徐々に赤く染まりだす東京ドームを眺めながら、目の前にいるマダムも、数列先にいるピンクの花冠をした若い彼女も、斜め前にいる背の高い彼も、そして私もみんなみんなKAT-TUNが好きなんだなあ、と思ったら、開演前なのに涙が止まらなくなった。KAT-TUN本人でもないのに号泣した。

 一つのものを愛し、崇め、集う。疑いもなく、完全に宗教だと思うが、これだけの熱量が東京ドームという場所に集っている光景は胸に迫るものがあった。気迫や覇気を優しく温かいものが包み込んだ空気でドームが満たされていた。早く会いたい。でも始まってほしくない。この日が終わらないでほしい。複雑な感情をよそに、一斉に落ちた照明が、最後の、そして以後語り継がれることになるであろう「航海」の始まりを告げていた。

 

ちょっとここからテイストが変わる。

 

さて、今回アルバムの曲目を見た瞬間、

これ絶対シングルメドレーになるやつじゃん絶対そうじゃんわたしのTOKYO STARRYドコ~!!!FEATHERSオッエーオーーーーー()と思っていました、ええ。

 

 ちなみに超絶自己満で民意に反しまくった曲を投票した結果、

hyphen selection*31曲もランクインしなかった私(23)

ちなみにNEWSのリクエスト*41曲もランクインしなかった私(当時19)

尖った歌を選びすぎなんだよ。メキソミーラコミーラコ!!!!!(投票済み)*5

 

 さて、そんなこんなで名古屋初日を迎えたわけですが、帰る頃には

KAT-TUNのシングル楽しすぎワロタピロピロピー状態

になっていました。正しく描写するのであれば、なぜか花粉症を突如発症し、くしゃみ鼻水頭痛の三拍子で、アンコールで突然マスクを装着し始める有様でした。でもピロピロピーでした、とても。

 

 普段のコンサートでシングル曲って、わりと捨て曲というか、気を抜いてしまう場面(ごめんなさい)だと思うんです。はいはいキプフェねー、BIRTHきたーヒカリトカゲー(無造作にペンライトを操る)、みたいな。

 

 ただ、今回は10年の歴史」、という軸がずっしり座っていて。

 NEWSは新しいアルバムを引っさげてライブツアー、ドームで10周年ライブの流れだったので、タイミング的な部分もあると思うけど、10年の歴史を余すことなく振り返るKAT-TUNと、「今のNEWS」を惜しげもなく魅せるNEWSは対照的に映りました。亀梨くんが「3人のお披露目のライブではない、それは次の機会でいいと思う。今回はこれまでの感謝の気持ちを伝えるライブにしたい。」といったようなことをどこかで発言していたような気がしますが、あえて名曲ぞろいのカップリングからは選ばず、ファンの意見に寄り添ったセットリストを振り返り、意図が見えるライブだと感じました。

 

 このデビュー以後10年の歴史を軸にしたライブは、私自身も中学生〜大学生、そして社会人時代、青春と呼ばれる時代を思い出しました。

 GOLDでは、みんながファーストアルバムのCDやMD(今の高校生は知らないんだろうな、MD。)、KAT-TUNの雑誌の切り抜きを持っていた中学時代を。そして、高校時代、好きな人と遠足の班が同じだった日に帰り道にウフフってなりながら自転車漕いで聞いたYOU(甘酸っぱい…カルピスかよ…)、受験生の時、第一志望の大学の試験に向かうときに中央線で聞いたWill Be All Right(無事、母校になりました…)、初めて大学に行った日、就活生のとき、初出社の日、節目節目に背中を押してくれたPERFECT、年が明けたばかり、学生最後の京セラドームでこんな幸せなことはない!と噛み締めた4U。

 

【番外編】

高校生のとき、「『暖房』消してみたら涙溢れたよ」だと思っていて(正しくは『番号』)、「そんな寒いなら暖房付けろよ。何故消したよ。」と思っていた「春夏秋冬」。

 

この部分超酔ってるときに書いた。テイスト戻すわ。

 

ゴホン。

 

 演出の細かい部分に関しては、自分の表現力外の魅力があり、より上手にお伝えしている方がいらっしゃると思うので省略したく。

 

 特筆するのであれば、UNLOCKこそまさにKAT-TUNの真骨頂だったと思う。

アルバムの曲が発表された際に、このUNLOCKが前回のコンサート*6でいえばRAY的なポジション、つまりコンサート終盤の核となる曲だというのは容易に想像がついていたのだが、演出には度肝を抜かれた。

 火、水、レーザー、爆音。名古屋初日の際、「おふょおおおおおお火が降ってきたァ~~~火がァ~~~~~」と絶叫し、東京初日の際、「おぉおおおおお水だぁあああおぉおぉおおおぉ~~」と初めて井戸を作った人かのような雄たけびをあげ(あれ、さっきのテイスト残ってるね?)、とにかく火と水という相反するものが一つのステージを形成し、さらに光という要素がスパイスが降り注ぎ、演出単体でもステージとして成立してしまうクオリティ。それをあくまで「演出」であり、自分たちをより魅力的に見せる「装飾」として使いこなし、背負ってしまうKAT-TUN。安っぽい言葉だが、本当に尊かった。

 東京ドームが火と水とレーザーと、耳を劈くような爆音でいっぱいになる空間に、いつまでもいつまでも存在していたい、と心から思った。それが叶わないと知っているからこそ、この瞬間が永遠になればいい、と涙を流しながら、すでに4回見て覚えていた特効のタイミングとともに声をあげ、手を伸ばし、ドームに魔法をかけている気分に浸っていた。

 

 東京ドームから本編の最後の曲となった「君のユメ、ぼくのユメ」。

 デビュー曲のアンサーソングである、というところや、作詞作曲者に関して差異があるにしても*7、NEWSの「愛言葉~てをひいて~」と同様、所謂アニバーサリーソングという位置づけである、という共通点を持つ一曲、だと思っている(筆者主観込)。

 

 今でこそ「愛言葉~てをひいて~」は、NEWSのファンの方の間ですごく大切にされている一曲なわけだが、10周年ライブで初披露だったこの曲の最初の「見つめたり」というフレーズを聞いた瞬間、涙が止まらなくなったのを覚えている。ただひたすらに「よかったね、よかったね」という気持ちであふれ、「NEWSすごいよ、4人で東京ドームに立てたね」と、私の夢と彼らの夢が叶ったのだという多幸感にあふれていた。

 「具のないおでん」「いちごのないショートケーキ」「か様いつ仕事してるの?」*8と揶揄された彼らが、東京ドームのステージに立つなど、もっとずっと先のことだと思っていたのに。「やっと叶えたこの4合わせ(幸せ)というフレーズに、彼らのこれまでの苦悩と、それを純粋に、ひたむきに支えてきたファン、そして掴んだこの大舞台での「幸せ」が、これでもか!と詰められている。

最後に「僕たちの10ve(Love)Anniversaryとあるように、ファンと彼らの幸せな幸せな記念日。これからもずっと隣で歩いていこうね、ずっと一緒だよ、ありがとう、と微笑みかけるような、それはそれは、やさしい、やさしい空間だった。彼らの夢が一つ叶ったのだな、と心からの祝辞と拍手を捧げたことをよく覚えている。

 

 対してKAT-TUN「君のユメ、ボクのユメ」だが、これから訪れる「未知」への不安や、これまでの彼らの歩みに関しての問いかけが多く含まれた歌詞だと感じた。

「無我夢中で走っ『た』」「本気と汗は君に届い『た』かな」。「充電期間」に入ることが制作段階で決まっていたのかはこちらの知るところではないが、誰よりもがむしゃらに、やんちゃに、追いつけないほど早く走り、手をつなぐのではなく、「走ってついてこい!」と背中を見せていた彼らが、少し大人になり、落ち着いてこれまでの歩みを振り返ってみる、というのはとても新鮮に感じた。

 

 前述のNEWSの歌でも986(悔やむ)日々、だから今があってやっと叶えたこの4合わせ(幸せ)という歌詞があり、去っていったメンバーと、それに伴い変遷していった人数を歌詞にあてはめて振り返っているのだが(この部分を作詞したのは鬼才加藤シゲアキ大先生である。)、やはり最後の4合わせ」に比重が置かれている気がする。そしてこの「4合わせ」がいつまでも続く、「多幸感」や「安心感」が溢れている歌詞だと思う。

 

 KAT-TUNの場合、無論10周年を迎えることができた「幸せ」は存る、とは思うが、この先の「充電期間」という「未知」に対する想いをも乗せており、単純な喜びや幸せだけではない、決意や覚悟、その先にある「未来」を感じさせる楽曲・ステージングになっていたのではないかと思う。

 極め付けは「君のユメ、ボクのユメ 一緒なら嬉しいね」。未来に行き着く場所、すなわち「ユメ」が一緒なら嬉しいね、と彼らは歌う。

 一緒の「ユメ」ではない「ユメ」を追いかけることを決めてしまった仲間に思いをはせながら、(最後のあいさつで上田くんも言っていたように、)そのメンバーに帯同するように、別の道を歩むメンバーの「ユメ」を応援することを決めた彼らのファンに思いをはせながら。同じ「ユメ」を追えなかった、「負えなかった」彼らを非難するわけでは決してない中で、今ここにいるファンに、今描いている「ユメ」も、そして充電期間を経て、行き着く先の「ユメ」も一緒なら嬉しいね、と語るのである。

 

私はこのコンサートが終わった瞬間、「私の青春が終わった」と思った。

 決してマイナスな意味ではなく、自分でお金を稼げなかったような頃から(お父さん、お母さん、ありがとう)、友達が彼氏とウフフアハハしているときにもひたすらテレビや雑誌といったメディアを通して彼らを凝視し、大学の授業をケロっと休んで(当時もまだ優等生気質が残っていたので死ぬほど緊張しながらサボった。)番協に行き、青春のほぼすべてを投げ打った結果、恋愛偏差値38くらいの女が出来上がってしまったのだが、東京ドームを背負う彼らの姿を見て、これまでの私の青春に一点の曇りも狂いもなかったのだと感じた。だから、今日この日、「はい君の青春終りね。」と言われても、一切の後悔はなかった。 

 忘れてはならないことだが、彼ら自身、一ファンであるわたしよりも、もっと自らの青春をKAT-TUNに捧げてきたのである。現状のメンバーは全員、自らの意志でジャニーズ事務所に履歴書を送ったタイプの人たちではないと記憶している。きっとやりたかったこと、でもできなかったこと、私の知らないところで数えきれないほどあるはずだ。上田くんが仕事で大学受験を諦めた話を聞くと、いまだにどこかで胸が痛む。それでも「KAT-TUNでいる」という道を、今の私よりも若いときから選び、時に悩み、苦しみ、それでも「KAT-TUNでいること」を続けてきた彼らに、プロフェッショナルとして(シカオを思い出した)、社会人として、最大の敬意を払いたい。10年間の間に、私の青春と彼らの青春が少しでも交わっていたという事実は、幸運の産物以外の何物でもない。

 

 NEWSは私にとって、アイドルの、ジャニーズのいろはを教えてくれた「原点」であり、教科書であり、いつだって私の望む非日常のキラキラした、夢のような世界を見せてくれる存在であったし、今でもそれに変わりはない。

 対するKAT-TUNは私にとって、「見てはいけない大人の世界を見せてくれる」存在であった。公私ともに真面目な優等生、教科書(=NEWS)が常に「正」だった私が、怖いもの見たさに週刊誌の袋とじをあけてしまって癖になってしまった、といった感じだろうか。(例えがよくないが、「やや変態」*9なので許してほしい。)

 NEWSはいつだって素のまま、ありのままの自分を受け入れてくれる場所だったし、「私がいなきゃだめよね!いてあげるよ!」という謎の上から目線の母性本能を発揮していた。(今でこそ彼らはすごく力をつけて、「私いる?あ、いていい?どうもでーす!」と思うことの方が多いが。)

 一方KAT-TUNは、早く追いついてみたい、ちょっと悪ぶってみたい、えっ制服じゃだめ?ノーメイクじゃだめ?私もその仲間に入れて!船に乗せて!、と背伸びをさせてくれる存在だった。

 端的な例えにすると、わたしにとってNEWSはディズニーランド、KAT-TUNは渋谷のクラブ(行ったことないけど)、そんな存在である。

 

 現在、所謂「担当」はKAT-TUNであるが、どちらも私の青春を彩ってきた存在であることに間違いはない。「クラブもいいけどディズニーも行きたいんだもん!」という我儘な私に、いつもいつも寄り添ってくれてありがとう。

 

 この2グループを語るうえで、この話題に触れずにはいられないと思うが、KAT-TUNとNEWS、2グループが好きでいた中で、自分がヲタクを自覚始めてから、「メンバーの脱退」経験は6回を数える。(ベテラン)

 「それだけ経験してれば慣れるでしょ?」と言われたりもしたし、ネタ半分に「私がはまったグループは絶対人がいなくなるジンクスがある」と豪語していたが、1回1回、一人一人皆違う理由でグループを去っていくので、それぞれのメンバーに対する感情は全く異なっていたし、正直今でも田口君に関してはどうしても未練をぬぐうことができない。なぜ?どうして?どうして彼の「ユメ」はわたしと、そしてKAT-TUNと違ってしまったのだろう、と。

 

 私はどちらのグループにしろ、常に好きな人が、「残る」立場だったので、わりと被害妄想的、悲劇のヒロイン的な想いを抱き、「お願い、置いていかないで!」と毎回ヒステリックに、声高に叫んでいたわけだが、今回諸所で話題になっていた(会社でも話題になっていて驚いた)、亀梨くんがKAT-TUN全員のメンバーの名前を読み上げたあのシーンを見て、ああいつだって私はKAT-TUNのこと、好きだったじゃない、と気づかされるに至った。

 

 心のしこりがゼロだ、と言ったらウソになるけど、6人だって、5人だって、4人だって、ずっと「今」のKAT-TUNが好きだったじゃない。そう思って、ステージを見ると、今世界で一番いとおしい3人がいて。「『今』のKAT-TUNが好きだ」という気持ちは、私の青春において、いつだって一本筋の通った気持ちだったのだ。最終日、あふれ出る涙をぬぐう気にもならず、ぼやけた視界から、ただただ天井と、3人の姿と、真っ赤に染まった客席を交互に見つめていた。

 

 コンサートが終わり、気の合う仲間たちと少しお酒を入れ、友人を後楽園駅まで送った後、水道橋駅に戻るため、また東京ドームの前を歩くこととなった。さっきまで「一体この人たちは普段どこに生きているんだろう?」と思ってしまうほどの人数が集っていたのに、今やその場にいるのは、別れを惜しむ10人程度のファンとたぶん「今日かつーんのライブがあったらしい。」くらいに思っているであろう、モニュメントやグッズ売り場を解体するオジサンたちだけで、何かもの寂しい気持ちにもなった。

私は何を思ったか、誰もが一度は集合の目印にしたであろう「三角」*10の前に一人腰かけ、5月の心地よい夜風に吹かれ、「君のユメ、ボクのユメ」を聴く、という非常にクサいことをしてみた。

 

「喜びも痛みも今を彩るレシピになれ」

 

そう歌える彼らだからこそ「今」のKAT-TUNが今までで一番好き、と胸を張って言えたんだな。そんなことを考えながら、一人でビェーーーーと子供のように声を出して泣いた。誰も見ていなかったことを祈る。

 

「君のユメ、ボクのユメ 一緒なら嬉しいね」

 

 正直、今はもちろん「一緒だよ」と力強く言える。でも、10年前にKAT-TUNが3人になる(NEWSが4人になる)なんて、予想もしていなかった事態が起こる世の中なわけで。何が起こるかわからない。

 それでも、一緒だったらいいな、と思う。なんとなく、一緒な気がする。それいいんじゃないかと思う。「一緒だったね 嬉しいね」と言える未来が…エンディングの映像のように、一つ一つの光が交わって大きな一つの光に、「ユメ」になる、そんな日を心から「ユメ」見て。

 

 上田くんが最後に「一緒に戦ってほしい」と言っていて、具体的に何と戦うかはあまり見えてないのが正直なところだ。でも、東京ドームを後にした私たちが、以後「現実」と闘わねばならないことは確かだ。これからは理不尽な現実から目を背けさせてくれたKAT-TUNがしばらく傍にいてくれなくなる。たしかに「戦う」という表現は相応しいかもしれない。

 でも、どうしようもないくらい涙でグチャグチャになった後、アンコールで「笑えよ!」と出てきてくれた彼らが、SHE CRIED... 誰かが呼ぶ方角(ほう)へ」*11と歌って出てきてくれた彼らの姿が目に焼き付いている限り、抗い、戦い続けられる、そんな気がする。

 

 聴いていた曲が終わり、「ありがとうございました!」と呟いて、ドームに一礼をして立ち去った。本当に少し酔っていたのもあるけど、俺超武藤(笑)*12だった。

また、ここに彼らと帰ってこられる日が、楽しみで、楽しみで仕方ない。

 

 「ヤローども、出港だ!」の煽りで始まる今回のコンサート(私はいつのまにヤローになったのだろう。)。海賊船を模したセット、何度も海賊をテーマにしたコンサートを作ってきた彼ら、そして、KAT-TUNを船に例えている彼ら。厨二かよ、と思ってしまう部分もあるが、いつまでもこの船で旅をしてみたいと思っている自分がいるのもまた一興である。

 

 この船が停泊している充電期間中、私は何をしているのだろうか。あれ、そもそも船に乗りっぱなしでいいんでしたっけ?降りる???

 とりあえず、「ヤローども、出港だ!」の一声がかかったら、一番に船に乗って上田くんの隣を確保できるように、坂道ダッシュ*13でもして鍛えておこうかな、と思っている所存である。

 

 そして、彼らが個人で旅を続けている間、路頭に迷わないよう、夜道を懐中電灯で照らしたり、三輪sh…バイク*14がぶっ壊れたら一緒に押してあげたり、加湿器にさりげなく水を入れおいてあげたり*15、個人で旅をしている間も、彼ら1人1人に少しでも関わっていきたいと切に願っている。

 

 公演の最後に映し出された彼らは、穏やかな笑顔で問いかけていた。

 

 Are you ready

 

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  「準備はいい?」

彼らが次にそう微笑んでくれるのなら、思いっきり笑顔でうなずきたい。

-Yes, I am ready to start the "GREATEST JOURNEY" with you

 

 「いつの日か再会の花が咲く」*16、その日をユメ見て。

 

10周年、本当に、本当に、おめでとう!

 

  トピック「KAT-TUN」について

 

 

 

 

*1:2008年くらいのコンサートにて亀梨くんが

*2:【DVD】EWS 10th Anniversary in Tokyo Dome

*3:KAT-TUN / 10TH ANNIVERSARY BEST “10Ks!"初回盤 disc3

*4:NEWS / NEWS BESTにおけるFAN SELECTION BEST

*5:KAT-TUN/MIRACLE

*6:2015年に行われたKAT-TUN LIVE 2015 9uarter

*7:KAT-TUN「君のユメ、ぼくのユメ」の作詞作曲者はデビュー曲「Real Face」を作詞ししたスガシカオさん、NEWS「愛言葉~てをひいて~」の作詞作曲はNEWS本人である。

*8:2011年付近の某掲示板の書き込み

*9:中丸くんがジャニーズwebの連載にてファンをこう表現している

*10:東京ドーム前にある三角形のオブジェ

*11:KAT-TUN/ GREATEST JOURNEY

*12:某掲示板でおなじみだった「俺超亀梨」参照

*13:上田くんは武井壮さんと坂道ダッシュをしていたらしい。今でもしているのだろうか。

*14:本コンサート内の演出で、上田くんがバイクを乗り回すシーンがあった

*15:本コンサート内で、中丸くんのHBBコーナーで登場した

*16:KAT-TUN / TRAGEDY